盛日和

日記のようなもの

彼岸花

 ちょうど半年ほど前から、上腹部のみぞおちあたりに痛みがあった。まるでそこにある臓器が内側から爪楊枝で常時つつかれているような、じんじんとした疼きであった。

 4月末の会社の健康診断で、アミラーゼの数値が高かったことが頭をよぎった。果たして膵臓をやられたのかもしれない。大事をとろうと思い、5月末に消化器内科へ行って、採血をしてもらった。

 しかし6月以降は過去最高の忙しさ(大イベントを5つも立て続けにこなさなければならなかった)で病院を再訪する時間がなかった。イベントをすべて乗り切ったあとで、そういえばずっと上腹部の痛みが続いていると、私の意識が数か月ぶりに再び上腹部に向かった。酒を飲むと痛みが激しくなるようだった。

 ネットで調べてみると、「膵炎は不可逆的に進行し、根本的な治療法は確立されていません。いかに進行を遅らせるかが主な対処法になります」とあった。アルコールや不規則な食事、運動不足が主な原因になるという。膵炎患者の寿命は平均より10~15年ほどマイナスになるとも書かれてあった。

 私の人生の前に、出し抜けに死が立ち現れ、自分は平均より長く生きられないことをスマホの画面越しに告げられた。人生100年時代といわれるが、私は70年生きられればよいほうなのかと思うと、血の抜けるような心地がした。しかし取り乱すというのとも違った。自分が生に執着をしないタイプの人間なのかもしれない、という発見も同時に味わっていた。

 疲れを紛らわそうと夜な夜な流し込んでいた缶チューハイが、見えざる膵臓を内側から溶かし続け、それがスカスカの繊維状になっているのを想像して、はじめて親に申し訳ないことをしたと思った。

 嫌な想像をしながら病院へ向かった。数か月前の血液検査の結果を、四角い眼鏡をかけた男性医師が教えてくれた。

 「盛さん。アミラーゼは正常範囲内でした。上腹部の痛みだけで、背中の痛みがないとなると、胃の可能性が高いです。こうして背中を反らしてみてください。次はこうやって背中を丸めてみて?どう、痛くないでしょう。念のためもういちど今日採血をしましょう。そして今度胃カメラをやって、胃の内部に異常がないか検査をしましょう」

 医師はそのようなことを言った。私が抱いていた膵炎の可能性は低いという診断がなされた。さまざま考えていたことが急に馬鹿らしくなって、その後は大戸屋で久しぶりに刺激物を含む食事をとった(割と辛めの麻婆豆腐定食)。

 つい先日。胃カメラを飲まされた(経鼻が難攻したため、途中で経口に変更された)。診断の結果、特に大きな異常は見受けられないとされた。多少の炎症があるものの、胃も十二指腸もきれいでしたと言われた。ストレスなどが影響しているのかもしれませんと、あの四角い眼鏡の男性医師は付け加えた。

 このようにして、あるとき、突然死を意識せざるを得ないような体験をすることが、人生にはあるのだと知った。死を意識すると、自分を取り巻く世界の在り方はがらりとかたちを変えてしまう。その一方で、自分が死んでしまっても、世界は自分とは無関係にまわりつづけるのだということも同時に思った。それはひっそりとした気持ちであった。小川近くの土手に咲く彼岸花の一つになって、風に揺られながら世界を眺めているように感じられた。