盛日和

日記のようなもの

ハンコ屋にて

1週間前、家から1kmほど離れたハンコ屋さんへ銀行印を作ってくださいとお願いに行った。その店は70歳近い男性店主がひとりでやっていて、店構えに老舗の風格こそないが古い店だ。4、5キロ東に行けば新宿へと至る幹線道路の片隅で30年とも知れぬ間店を守ってきたのだろう。私が戸を開け「御免ください」と声をかけると、店主はぎろっと覗き込むようにして私のほうを向いた。年老いてはいるが眼光は衰えていなかった。色々説明を聞いていると、銀行印はこの書体がいいと言った。「ほかに選ぶとしたらどんなのがありますか」と聞くと「たいていはこれを選ぶね。これ以外はないな」と篆書体を指しながら言った。自信満々に答えてくれたのと、初めて会った店主とちゃんと会話ができたなと感じて私は無性に嬉しかった。6,600円を払って(25%OFFにしてくれた)1週間後に取りに来るように言われた。完成が待ち遠しくなった。

そして今日。引換券を財布に忍ばせて店へハンコを取りに行った。引換券を差し出すと、店主は当のハンコを持って待っていてくれた。「押すとこんなふうになるよ」と私にそれを手渡してくれた。ハンコはケースに入れられ、ケースは印影が押された紙封筒に入っていた。私はただ「ありがとうございます」と言った。財布と貰ったハンコをリュックサックに仕舞ってまた「ありがとうございました」と言って店を出た。

店を出てすぐにしまったと思った。店主に「印影きれいですね」とか言えばよかったと後悔した。「押すとこんなふうになるよ」は職人気質な店主の精一杯の客への投げかけだったのだと(今振り返ると)思う。その投げたボールは私がキャッチしなかったことで横にこぼれた。そして私は、常套句としてのありがとうを言ってただ立ち去った。私は5月に東京を去ることが決まっている。よっぽどのことがない限り、この店にまた来ることはないだろう。一度出した言葉は取り返せないし、その時出さなかった言葉はもう相手に届けることはできない。たしかに「声に出すこと」は(理論上は)可能だろう。でもその時そのタイミングでその言葉を発することは二度とできないのだ。

もちろん、形式上のありがとうがあってもいい。嫌な上司とか見ず知らずの他人にまで精魂込めたありがとうをいうほどお人好しじゃなくていい。でもちゃんと人間として接したいときは親切を言葉にして伝えたい。今後気を付けよう。

「約束された老後」

「約束された老後」。...一瞬でファンになった。

日テレ「マツコ会議」にサブ出演していたミチのことだ。

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一緒に出演していた弟のよしあきに対しマツコが「あなたにとって幸せって何よ」と問うた後、フォローとしての返答がこれだったのだ。語彙力が皆無だけど、なんというか痺れた。

なぜ痺れたのかあとあと考えてみたんだけど、ありふれた質問に、思いもしない返しをミチがしたからかな。鮮やかでそれでいて地に足のついたその人自身の言葉というか。こんなふうに自分の言葉を持っている人はとても魅力的だと思う。

村上春樹は、オリジナリティの定義として

「新鮮で、エネルギーに満ちて、そして間違いなくその人自身のものであること」
村上春樹『職業としての小説家』, p.116, 新潮文庫

を挙げている。彼女を見ていて思い出した。

私にとっての幸せってなんだろう。はっきり答えられないけど、この歌詞を置いて今回のエントリーは閉じることにしよう。

はっきりさせなくてもいい あやふやなまんまでいい
僕達はなんとなく幸せになるんだ

何年たってもいい 遠く離れてもいい
独りぼっちじゃないぜ ウィンクするぜ

THE BLUE HEARTS 夕暮れ

youtu.be

「ペンは剣より強い方がいいんでしょうか?」という問いに対する村上春樹の回答

少し前にいいなと思ったツイート。27歳女性が寄せた「『ペンは剣よりも強し』だと思いますか」との質問に村上春樹が応じたものです。以下、ツイートから抜粋します。

 すごく正面切っての質問で、びびってしまいます。ペンは剣よりも強いか? そのとおりです。ペンは剣よりも強いですよ、もちろん、と断言したいところですが、昨今はなかなかそうとばかりも言えない部分が多いです。テロもありますし、ネットの炎上みたいなこともあります。ものを書くときにはじゅうぶん用心深くならなくてはなりません。
 僕は普段は、基本的にむしろ「ペンがあまり強くなりすぎないように」ということを意識して文章を書いています。僕の文章ができるだけ人を傷つけることがないようにと思って、言葉を選ぶようにしています。でもそれはとてもむずかしいことで、何を書いてもそれによって傷ついたり、腹を立てたりする人が、多かれ少なかれ出てきます。これはある程度しょうがないんです。でも、それにもかかわらず、できる限り、人を傷つけない文章を書くことを心がけなくてはならない。これは文章を書く人間にとっての大事なモラルなのです。
 でもそれと同時にいざ闘うべきときだと思ったときには、闘えるだけの胆力(ぐっと腹に力を入れる力のことです)を蓄えておかなくてはなりません。でもそれは本当にいざというときのためのものです。みだりにペンを剣より強くしちゃうのは危険なことです。と僕は個人的に考えています。ほかの考え方をする人もいるでしょうが。

この回答がいいなと思った理由を考えたいのですが、第一に、村上春樹が質問に答えるにあたって、あり合わせの、出来合いの思想に寄りかかるのではなくて、10分なり15分なり、ちゃんと質問に向き合って答えを出したということがじわりと確かに伝わってくるからです。

普通であれば、(慶応義塾のシンボルにもなってるくらいなのだから)、ペンが剣よりも強いのは当然のことだ、じゃあ、「ペンは剣よりも強い」という事実を補強するような最近の時事なり自身の体験を話そう...となるはずです。

しかし、村上はここでぐっと一段深く潜っています。そしてペンが持つ危うさについて論じるのです。この一見面倒かもしれない沈潜を経て紡がれた言葉だからこそ、私の胸に届いたのではないかと思います。

この回答がいいなと思った第二の理由は、回答終盤の箇所です。

でもそれと同時にいざ闘うべきときだと思ったときには、闘えるだけの胆力(ぐっと腹に力を入れる力のことです)を蓄えておかなくてはなりません。でもそれは本当にいざというときのためのものです。

ここも、ああそうだよなあとひどく納得しました。

急に話が変わるようですが、現代の若者の特徴には、「やさしい」があると思います。親世代のようにグレて盗んだバイクで走りだしたりすることはなく、それなりに協調できて、セクハラおじさん的なイタい言動をとるでもなく、大学や国会前でデモ活動をするでもなく、適切な距離感で社会を生きているのが我々世代の特徴であるように思えます。

でも最近「やさしさ」だけでは生きていかれないような気がしてきました。普段は穏やかでいいけれど、心の底にある価値観や、社会通念に照らしてみてもやっぱりここだけは譲れないよなというようなもの(モラル?)が破壊されそうになったとき、消えそうになっているとき、何者かによって奪われようとしているときは、やっぱりそれに抗えるだけの力がいるんじゃないかと思うようになりました。それを村上春樹は「胆力」と呼んでいるのかもわかりません。

夏目漱石は「愚見数則」で次のように述べています。

人を観ばその肺肝を見よ、それが出来ずば手を下す事勿れ、水瓜の善悪は叩いて知る、人の高下は胸裏の利刀を揮って真二に割って知れ、叩いたくらいで知れると思うと、飛んだ怪我をする。(夏目漱石漱石人生論集』, p.11, 講談社学術文庫, 2015年)

平時は処女の如くあれ、変事には脱兎の如くせよ、座る時は大磐石の如くなるべし、但し処女も時には浮名を流し、脱兎稀には猟師の御土産となり、大磐石も地震の折は転がる事ありと知れ。(前掲, p.12)

権謀を用いらざる可らざる場合には、己より馬鹿なる者に施せ、利慾に迷う者に施せ、毀誉に動かさるる者に施せ、情に脆き者に施せ、御祈禱でも呪詛でも山の動いた例しはなし、一人前の人間が狐に胡麻化さるる事も、理学書に見えず。(前掲, p.12)

普段は処女のように力を誇示したりせず、なんなら弱弱しくあるくらいがよい、しかしいざという時には脱兎のように素早く動いて決着を付けなさい ということだろうか。これは先の村上春樹の文章にも通ずるように思う。普段はちゃんと相手を思いやって、相手を傷つけない文章を書きなさい、ただし、いざという時には、言葉を尽くして主張すべきを主張する。現代的な「やさしさ」に逃げてはならない。

その「いざという時」を見極めるには、普段から人間をよく観察しておかなければならない。漱石が云うように肺肝を見なければいけない。そして、いざという時──どうしても胆力を発揮しなければならない時──には、馬鹿で、私利私欲に惑い、名声や世間体に囚われ、感情的な人間を真っ先に追い込め ということでしょうか。漱石先生、けっこう怖いこと言うんだよなあ。

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野球

これまで二十数年生きてきたにもかかわらず、野球と無縁の人生でした。言うまでもありませんが、国内において野球はサッカーと同じかそれ以上に高い人気を誇るスポーツです。個人的なことを言えば、学生時代過ごした街はプロ野球の春季キャンプ地でもありました。しかし、学生の時分に野球への関心が高まったことはありませんでした。

観戦をしたことは(一応)あります。初めて野球を観たのは高1か高2の時。千葉ロッテマリーンズファンだった友人がロッテ対ソフトバンクの試合に誘ってくれたので、西鉄天神大牟田線特急に乗って観に行ったことがありました。友人とワイワイ言いながら観るのは楽しかったですが、選手のことをもっと知りたいとか、好きなチームができるとかはありませんでした。

上京してからも、会社の同僚から誘われてなどの理由で、(いわば受け身で)神宮球場や東京ドームへヤクルト戦や巨人戦を観に行ったことは何回かありましたが、後の感想としては「ビール美味しかった~」というものでした。

それが、今年に入って急に野球のスコアを付けたり野球についての知識を深めなければならない状況になってしまい、モチベーション的な意味で若干困っております。

対策として、『ドカベン』や『もしドラ』など、野球に関連するアニメや漫画を読んでみようかなと考えております。さて夏までにどうなることやら。いやはやいやはや。

2022年の抱負的な

2022年1月2日
盛様

 

こんばんは。2022年が明けましたね。

ここには新年の抱負のようなもの、年頭所感を書き記しておきたいと思います。近い未来の私はこれを読んでどのような感想を持つでしょうか。それでは徒然なるままに。

 

健康に気を付ける

いい仕事は健全な心身があってこそ生まれるものです。暴飲暴食は避けてください。睡眠は確保できていますか。上京して4年。寝具もそろそろ取り換え時かもしれませんね。ちゃんと眠ってちゃんと食べておけば、大抵のことは乗り越えられます。運動ができればなおよしです。しかしできたらでOKです。

交通事故に注意する

あなたはおそらく自家用車を買うでしょう。そして、いろんなところへ行く機会が増えるでしょう。自らの運転技術を過信せず、常に安全運転を心がけてください。人身事故を起こせば、相手の人生はもちろん、自分の人生も台無しになってしまいます。注意してもしすぎることはありません。基本の確認を怠らないようにしましょう。

あとあなたはハイになると周囲が見えなくなることが度々ありますよね。例えば大学1年の2月頃、中国・南京でいい気になって歩いていたら車に轢かれそうになったことを覚えていますか。小学校の時、正面衝突の事故をしたのを覚えているでしょうか。自分がおっちょこちょいであることを自覚してください。

上司からの煽りや、他社との競争の中で一秒でも早く現場に着かなければならない時もあるかもしれません。焦ることもあるかもしれません。しかし、事故をしてしまえば一巻の終わりです。十分注意するようにしましょう。

量をこなして仕事を覚える

これは一度経験があるので言うまでもないかもしれませんが、新人は習うより慣れよ、です。四の五の言わず、まずは仕事の形を覚えて量をこなしましょう。

機械的になりすぎない

「量をこなす」というのは、ややもすれば「機械的にこなす」になってしまいます。自分からすれば一業務であっても、相手からすれば一生に一度の体験になると思います。そしてあなたの仕事は後世に残り、少なからず社会に影響を与えます。相手がひとりの人間であることを忘れないでください。歴史的資料として参照される可能性があることを忘れないでください。またたくさんの死に接することになると思いますが、それにもあまり慣れたくないです。悪い意味で染まりすぎないように心を強く持ってください。

現場・経験を大切に

あなたは、現場を踏みたい、歴史の転換点をこの目で見てみたいという意志をもってこの仕事を選びました。その志を忘れないでください。現場を歩き回ってください。一人でも多くの人の声を聞いてください。五感を使ってあらゆる物事を感じてください。経験がものを言います。そして経験することで自分の血肉になります。先入観だけで判断したり、頭でっかちになるような怠慢があるならこの仕事を辞めるべきです。

知識・理論を軽視するな

現場を見たとしても、それだけで終わってしまってはなりません。その出来事は社会にとってどのような意味があるのか、大きな歴史の流れのなかでどこに位置づけられるのか、そうした抽象と具体の反復がなければ、本質を突いた言論活動はできません。付加価値のついた情報は生まれません。あなたが見たことを、さまざまな知識や理論と結び付けてください。勉強を怠ってはなりません。貪欲に楽しくいろんなことを学んでいきましょう。

人と比べるな

自社・他社問わず、「同期と比べて自分は...」と落ち込むこともあるかもしれません。しかしキャリアは長期戦です。目先の評価や成果で一喜一憂するのではなく、焦らず急がずやっていきましょう。あと自分が地方出身だからといって、卑下することはありません。地方出身だからこそ何ができるかを考えてください。あなたがあなたの感性を信じないで、誰がほかにそれを信じるのですか。

遠野物語』の序文を思い出すべきです。

願はくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ

大学学長が贈ってくれた言葉を覚えていますか。

静かに行く者は健やかに行く 健やかに行く者は遠くまで行く

謙虚に図々しく

名刺一枚でホームレスから首相にまで会えるわけですが、それはあなたの力によってではありません。夜郎自大になるなど言語道断です。謙虚に仕事してください。とは言っても、小さくなる必要はありません。聞きたいことは聞く。曖昧なままにしない。正しくないことは正しくないと指摘する。時には図々しくなって、粘り強く仕事をしてください。

初心忘るべからず

以上のことは、「初心」と言い換えることもできると思います。理想と現実の落差に落胆することもあるかもしれませんが、理想は持つことが大事なのです。静かに坦々と理想のために邁進せねばなりません。うんうん死ぬ迄押していくのです。

わがともよ よきふみつづれ ふるさとの みづたのあぜに よむひとのため

映画「偶然と想像」を見に行ってきた

※ネタバレを少し含んでいます。映画館へ行く前にこのブログを読んでもそんなに影響はないと思いますが、各人で用法・用量ご注意願います。

こんばんは。今日も今日とて、Bunkamuraル・シネマ(東京・渋谷)へ映画を見に行ってきました。今回は、私の信頼する映画通のひとり、ねりまさんがツイートでご紹介されていた作品です。

ググれば「偶然と想像」、「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介監督やん!と気づきました。「ドライブ・マイ・カー」は正直私の理解の範疇を超えていたけれど、いつかこの世界観をわかる人になりたいなって思える大人な作品だったのね。だから、今回も(少しハードルは感じてはいたけれど)思い切って見に行ってみることにしました。

見る前に抱いていたハードルは杞憂に終わりました。短編映画で短い映画が3つ連なっているという構成です。しかし、タイトルにある「偶然性」が通奏低音として聴こえてくるような作品でした。

一番面白かったのは、第2話の「扉は開けたままで」です。見に行った人にアンケートを取ると、おそらくこの話に大多数の票が集まるのではないでしょうか。会場でクスクス笑う人多数。そんなコミカルな話でした。第3話は僕にはあまり刺さらなかったけれどつまらなかったわけではないです。

今回言及したいのは、第1話「魔法」です。親友同士という二人の女がタクシーの後部座席に座っています。一人の女が最近会った男ののろけ話をしていて、もう片方がそれをうんうんとうなずきながら聞いているというシーン。そこで「(その男との会話)もはやエロくない?」みたいな会話があって、面白いなと思いました。

行為や行動あるいは体のパーツ等について、それを「エロい」とするのは割と一般的なのかなと思います。しかし、彼女らが「エロい」としたのは、会話のシチュエーションや会話のやり取りそのものについてでした。

固定化したもの(=行為や体など)ではなく、流動的なもの(=会話)をエロいという形容詞でもって表して、しかもそれを両者が共感していた。これが面白いと思いました。

私が記憶している範囲で言うとこんなセリフがありました。「私、これまで誰にも話したことないようなことまで彼に話していて。お互いをまさぐっているような、そんな感じだったのよ」「えーそれエロい」。これだけ読めば陳腐に思えるかもしれませんが、あの夜のタクシーでのシーンは妖艶でした。艶っぽい女性の魅力が詰まった感じ。

以上の感想は、映画の局所中の局所についてしか語っていないので(つまりこの映画の魅力の一部分にしか言及していないので)、この映画の総論を知りたい方はほかのブログ等をあたったほうがよいかと思います。いずれにせよ、とっても面白くてクスクス笑えて年末を飾るにふさわしい映画だったと私は思います。

guzen-sozo.incline.life

映画「ひらいて」を見に行った

きょうは映画を見に行きました。「ひらいて」という邦画です。

hiraite-movie.com

私は映画に疎く、映画館へ見に行く作品はSNSなどで人づてに評判を聞いたものがほとんどです。信頼している映画通の方は何人かいらっしゃるのですが、今回はそのうちの一人、ココナツ・チャーリーさんが本作品を観に行っていたのを知って、渋谷シネクイント10:40からの上映回を予約しました。

charlieinthefog.com

結論から申し上げますと、見に行って大正解でした。良かったポイントはいくつかあるのですが、何を差し置いても山田杏奈演じる愛が個人的にかなり良かったです。何がよかったかというと、個人的に一番感情移入しやすかったというのがあります。

愛は自分の欲求にかなり忠実で、思ったことは即行動に移すタイプです。ここが私の性格と似ているなと思ったところでした。私も友人に言わせれば「行動力がある人」らしいのですが、私の場合、行動力が発揮されるのは局所的だと分析しています。つまり、普段は割とぼーっとしているけれど、ここだというときに割と大胆な決断をするという感じ。しかし愛の場合は常に「はい!!今!!!!」みたいな感じで行動をしているので、なんというか私がいつも躊躇うことを代理でしてくれているような凶暴さ?があって、そこがまた危うくて魅力的で見入ってしまいました。とっても爽快!でも画面の中の愛は行く先々でそれはそれは傷だらけになって血だらけになって帰って来るので、やっぱりこれは映画のなかだけでいいなと思いました。

映画を見ながら、この視線の動きってなんだろうとか恋をしている女の子ってこんな顔するんだとかなんかそんな発見がいっぱいあって楽しかったな。あと嫉妬している時の顔とか。かわいらしかったなあ。役者ってすごいなと思います。あんなの普通できひんって。